妙香山での一泊
失った丸一日をリカバリーするため、日程は調節されていた。今晩は日本の日光にあたる景勝地「妙香山」に一泊することになった。もともと、妙香山は平壌から日帰りのコースだった。瀋陽での足止めが北朝鮮の地方の観光地を観るまたとないチャンスとなったようで、何が幸いとなるか分らない。
妙香山は平壌の北150キロにあり、無数の滝や巨岩絶壁が造り出す絶景が売り物で、風光明媚な紅葉の名所地として有名な観光地。
そして「普堅寺」など歴史的な建築物や、故金日成主席に世界各国から贈られた品々を展示する「国際親善展示館、通称(宝物館)」がある。
北朝鮮の観光地は大きく分けて「平壌」「妙香山」「開城」「金剛山」「白頭山」「羅新・先鋒」の6か所。
将来いつの日か両国の国交が正常化され、誰でも自由に往来が出来るようになれば、これら観光地は間違いなく一級の観光スポットとなっているだろう。
だが現状では、どこも観光客を受け入れるインフラがまったく未整備で、開発が遅れているのは残念なことだ。
ホテルの宿泊客は私一人だけ
山麓にある妙香山ホテルは15階建てのピラミッド風のモダンな建物。主にロシアや中国の富裕層に人気がある高級ホテルだ。最上階には回転式のレストランもある。
当日の宿泊客は、なんと私一人だけ…。
エネルギー節約で暖房を落としていたのでロビーや廊下はまるで冷凍庫。ただ部屋は数台の石油ストーブで温められていて快適そのものだった。
食事もサービスも手抜きはなく申し分ない。この広いホテルをひとり占めしているかと思うと、何となく居心地が悪い。貧乏性の私は却って落着けなかった。
金日成宝物殿
翌日、最初に訪れたのは「偉大な首領様」の宝物殿。
金日成の在職中、海外の政治家から贈られたものが展示されている。広大な展示室を造るため、山腹に信じられないほどの巨大な、恐らく数百メートルもあろうかと思われる深い横抗が掘られていた。
次に見せられたのは、金日成の死後に建てられた金正日総書記の宝物殿。
収集され鎮座しているのは、アフリカの独裁者からの豹の毛皮、リビヤの戦車の砲塔。そして、なぜか日本の魔法瓶まであり、ガラクタばかりと言ったら失礼だろうか。見学者はただ呆気にとられるばかり。
こんな建物に巨額な金を注ぎ込んだとしたらバカバカしい限りだ。もっとも、こんな悪口を現地の人が人前で口にしたら、おそらく即、強制収容所行きとなってしまうことだろう。
普賢寺での忘れられない出逢い
妙香山の数ある名刹の中で最も有名な寺が「普賢寺」。
独裁体制化で仏教が保護されているのが少し不思議な感じがしたが、よく聞いてみると人民に仏教の教義を広めるということより、観光的寺院の性格が強いらしい。この寺で個人的にとても心が癒される体験をした。この不思議な巡り会いは帰国後かなりの間、私には忘れられないほどの強烈なインパクトがあった。
寺院の正門前でチマチョゴリを着た複数の女性が談笑しながら、私の前を通り過ぎた。その中のひとりの女性に目をやりハッとした。
亡くなった妻の若い頃の雰囲気が余りにもそっくりで思わず目を疑った。
顔つき、体型、そしてや笑い方までも酷似。世の中には不思議なことがあるものだと呆然として見とれてしまった。その後、なんと彼女が私のガイドとなり境内を案内してくれたのだ。
正直、心ここにあらずで、説明などロクに聞かず年甲斐もなく彼女のことばかりに関心が向いていた。ひと通りの説明が終わり駐車場に戻ったとき、通訳に「貴方が私の亡き妻の若い頃にあまりにもそっくりで驚いている」と彼女に伝えてもらった。
すると彼女はニッコリと微笑み、私を優しい眼差しで見つめてくれた。そして突然、彼女が私により沿うように腕を組み車までの数分間ゆっくりと歩いてくれた。私も彼女の所作に戸惑いながらも彼女の心の優しさが感じられ、内心とても嬉しかったことを記憶している。
帰国後、記念に撮った写真を息子に見せたところ、「信じられないほど似ている」と驚きを隠しきれない様子で、複雑な表情を見せていた。ある意味、これは今回の旅で最大の思い出となったようだ。
彼等によると、日本人の個人旅行は珍しく、あまり例がないという。
昨年末、映画監督の山本晋也氏が撮影クルーを引き連れて訪朝したとき以来のことらしい。大半が団体で、新潟―ウラジオストック経由のチャーター便が一般的だそうだ。
北朝鮮への旅行には遺書が必要?
「ところで、貴方は遺書を残してきましたか」と突然、悪戯っぽく尋ねられた。
「また妙なことを聴く」と怪訝な顔をしていると「以前、府中市の病院長が留守家族に遺書を残して決死の覚悟で来たと告白していた。北朝鮮はそんなにも恐ろしい国と見られているのですね」と私の心境を探りたかったようだ。
「情報ではそうかもしれない。でも、先入観や偏見を持たず、純粋に「旅」を楽しみたい。それには貴方がたの助けを借りたい」と率直に回答した。すると、やにわに彼等から握手を求められた。まずまず出だしはなごやかなスタートとなった。