北朝鮮の旅6 平壌市民の生活

北朝鮮の旅

平壌市民の生活

指導員と共に平壌駅に向かって歩き始めた。交差点の中心には女性警察官が立ち、指揮棒を鮮やかに振りながら交通整理をしている。

彼女のきびきびした動きは感心するほど小気味よく、暫くの間見つめていた。市内の風物詩だそうだ。通学途中の小学生たちは大声で歌いながら元気に登校している。

駅前の広場では通勤通学の人たちを鼓舞する目的なのか、吹奏楽団が勇ましい演奏をしていた。そして目に付くのは「プロパガンダ」のオンパレードだ。

広場からそう遠くないところに、労働党幹部などが住む高層アパート群があった。実際は市民のほとんどがこういった高層アパートに住んでいて、古いもので10階、新しいアパートとなると20階はあたりまえ。

高層アパートといえば聞こえがいいが、慢性的な電力不足からエレベーターが動かなかったり、暖房がなかったりと苦労が多いという。

それでも地方に比べれば、かなり生活の条件は良いという。実情として観光客が目にできる光景は平壌に住む一部の富裕層だけで、国民の大半は貧しい暮らしを余儀なくされている。

地方の人たちと決定的な違いは、平壌の市民は市民証を持ち、移動証明書さえあればどこでも移動が出来る。一方地方の人は移動の自由が制限され保証はされていないのが実状だ。

あっという間の一時間であったが、私には思いがけなく収穫のある散策で十分満足した。通訳は遅刻したことにひどく恐縮していたが、むしろこの機会をあたえてくれた彼に私の方で感謝したいくらいだ。

党高官の車のナンバーの謎

今日も厳しい日程が組まれていた。高速道路を南に下り開城と板門店に向かう。そこからとんぼ返りで平壌に戻るという日帰りの日程だ。ここで1日遅れの影響がもろに出ていた。

北朝鮮の高速道路は高速というより、幹線道路というのが適切だ。料金は無料。市内はともかく、高速に乗ると自動車は20~30分に一台すれ違うかどうかで、ほとんど走っていない。

たまに党の高官が乗ったベンツが猛スピードで追い抜いてゆく程度。興味深いのは、ベンツのナンバーはすべて最初の3ケタが「216」に統一されていること。これは金正日総書記の誕生日(2月16日)を意味し、そのベンツがプレゼントであることを示しているという。

そして、時としてこの高速道路を横断している農民やリュックを背負ってひたすら歩いている地元の住民も見受けられ、とてものどかな感じがした。

やがて道路の両側に田畑が広がり始めた。急斜面の段々畑で、ごつごつした岩肌が見えており、どう見ても肥沃な土地とは思われない。

毎年のように被る水害も、農業政策の失敗もあり、天災ではなく人災といわれている。ここ数年、食糧難から餓死者が続出しているようだ。

沿道の風景は単調だが、興味のあることが時々見られ飽きることはない。

開城の検問で銃口を向けられる

途中に軍の検問が何カ所かあったが問題なく通過。だが、開城に入る直前の検問はそうはいかなかった。

停車を命じたのは、まだあどけない表情の青年兵士。今まで通り「イルボネ(日本人)が乗っている」という合言葉は、彼には通じなかったようだ。

「高速を下り次の検問へ向かえ!」と、なんと銃口を向けながら顎で指示した。

これには通訳、指導員とも激しく舌打ちして血相を変えて怒っていた。

しかし、この国では軍の命令は絶対で従うしかない。高速の下には崩れかけた粗末な小屋があり、当然、観光客には見せたくない場所だ。だが、ここでの検問はあっという間に終わり、車は再度高速に戻った。

はからずも、この国の「先軍主義」の事例を目撃してしまった。

北朝鮮の軍事費は、国家予算の35%を占めているといわれる。国の予算は1兆円規模と見られ、日本の80兆円(当時)とは比較にならない。日本ではこの国と同規模の予算を持つ県は7つもある。

軍人には国民の手に入らないさまざまな特権が与えられている。衣類や食料品は先軍主義のもと軍隊が最優先。

また海外からの援助物資や医療物資は、軍や政府高官に優先的に支給され時には闇市に流れることもあるという。

まさに「国民が飢えても軍事優先の政策」といえる。

1943年両国生まれ。両国高校卒業。早稲田大学在学中に通訳ガイド試験合格。当時流行りの学園紛争にハマり大学を中退。通訳ガイドを経て、ラケットメーカーやライター会社の社員として主に海外業務に携わる。サラリーマン時代やその後の自営業の合間に訪れた国は40ヶ国以上。
趣味は映画鑑賞・ぶらり街歩き・読書

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