ヨルダン川西岸地区
やがてバスは死海を離れ、海に注ぐヨルダン川に沿った国道を疾走、今晩の宿泊地「ガリラヤ湖」に向う。
この国道一帯は「ヨルダン川西岸地区」と呼ばれ、パレスチナ暫定自治区のひとつとなっている。
現在この地区はパレスチナとの紛争で緊張状態にあり、車両の通過だけが認められている。2001年には銃撃戦も行われ、日本の外務省より危険度4が出されていた。
バスはひたすら走り抜けようとするが、所々に物々しい検問所が設置されており幾度も停止させられた。機関銃を持ったイスラエル兵が乗り込み車内のチェックを始める。銃を持った完全武装の兵士を目の前で見ると一瞬、緊張感が走る。
この光景はイスラエルが紛争のさなかにあるという現実を思い起こさせた。以前からパレスチナ問題に関心を抱いていた私は、のんびりと観光をしながら、こうした紛争の一端を垣間見ると、いささか負い目と居心地の悪さを感じたことは否めなかった。
このパレスチナ自治区の中には、旧約聖書や新約聖書時代に書かれた貴重な遺跡が点在している「エリコ」の町がある。
イスラエルでは訪ねる史跡ごとに紀元前の世界に容易にタイムスリップすることができるので、刻んできた時の長さがどのくらい凄いことなのか、しばし忘れてしまうことがある。
「ユダの荒れ野」のオアシスの町としても知られるエリコは「出エジプト」後、モーセの後継者となった「ヨシュア」が約束の地で、最初に攻め入った町。
ここには何と1万年前の人々の足跡が残っており、世界最古の町があったところ。また、最近発掘された城壁遺跡は、紀元前7800年のものと推定され、エジプトのピラミッドより4000年も前のものと判明。
さらにマタイ伝などに記されている「イエスが40日断食をして悪魔と戦ったという誘惑の山」がある等と、この町の見どころをS氏が説明をすると、皆一応にがっかりした表情。
キリスト教徒にとっては絶対見逃せない聖書にまつわる重要な場所だが諦めるしかない。何時の日か平和が訪れ、この町に自由に出入りが出来ることを強く望むほかなかった。
ガリラヤ湖に近づくとあたりの風景が一変する。砂漠と荒れ地から自然豊かな緑の大地が現れる。今はまだ冬だが、春先になると聖書時代さながらに丘陵地帯に野生の花が咲き乱れるという。
イスラエルは小さな国土ながら南北に細長く、標高差にも富むため多様な花が見られる。また、アネモネ、シクラメン、チューリップ、アイリスと我々の馴染みのある花の原種が多く、ヨーロッパの花の愛好家が毎年大勢訪れているという。
なかでもアイリスは人気があり珍重され、貴族の紋章にも用いられている。日もとっぷりと暮れかけたころ、ようやくホテルに到着。長い一日が終わった。
ホテルでパレスチナ問題について話し合う
夕食後、ホテルのロビーでS氏と四方山話をして過ごした。ユダヤ教に改宗しイスラエル国籍になったS氏に対し、多少迷惑かなと思いながらも、パレスチナ問題について話を切り出してみた。S氏は率直に答えてくれた。
「インティファーダ(民衆蜂起)が2000年秋に始まって以来、和平への展望がまったく見えない。パレスチナ過激派のテロや紛争がこれ以上続くと、自分が関わっている観光業に大打撃となる。数年前と比べ、イスラエルへの観光客は激減。当然ガイドの仕事も大幅に減った。
今日、通過したエリコも毎年100万人以上の観光客が訪れていたが、今年は僅か500人にも満たない。どこの観光地も閑古鳥が鳴いている。この国では、商売も運命もすべて政治にかかっている。両者の衝突はイスラエル経済に深刻な影響を与えている。
和平が達成されれば経済も良くなると思うが、現在の政府では無理。パレスチナ、イスラエル双方に無力感が漂っている。政府はユダヤ人とアラブ人は歴史的に憎み合っていたという。だが、建国前、ユダヤ人はいまのモロッコ、エジプト、チュニジア、イラクに住んでいたし、アラブのイスラム教徒とキリスト教徒はこの地域で共存してきた。自分の妻はモロッコ出身。イスラエル全人口の20%はアラブ人。共存出来ないことはない。領土をめぐる争いは一方が得れば、他方が失うというゼロ・サム・ゲームだ。双方が利益を得る共存の方法を見つけるべきだ。ほとんどのビジネスマンは和平を望んでいる。
だが長引くインティファーダで和平への期待はしぼんでしまった。自爆テロの防止などの治安問題は日常生活での基盤で、経済はそのあとにくるのが悩ましい。イスラエルでは最近、パレスチナ過激派を意識してか、右翼的宗教勢力が台頭、国家を分断している。こうした動きを大変憂慮している」と胸の内を語ってくれた。
私からは、「パレスチナ問題が、イスラエルやパレスチナ自治区にどう影を落としているのか知りたかった。せめて分離壁や入植地の一部でもバスから見ることができたらと期待していたが、こういった所は、安全第一とする通常の観光では組み込まれることは難しいと分った。選んだツアーが古代遺跡と聖地を巡る旅であればなおさらのこと、この旅行で望むべきでないと感じた。出発前、私なりにかなりの情報を頭に詰め込んでいた。イスラエルの離散と迫害の歴史、周辺諸国に住む400万人に及ぶパレスチナ難民問題など。読むほどに考えるほどに、私はイスラエルに反発を覚え、パレスチナに同情の立場となっていた。そのため、これらの質問や話題を出すのに、ためらいがあった」と、率直に語った。
S氏は、「何でも質問して欲しい。タブーはありません」と苦笑していた。そのうち、他の仲間たちも話の輪に入り始め、談論風発、喧々諤々となり、盛り上がりが治まったのは真夜中だった。