北朝鮮の旅8 北朝鮮軍最高幹部との出会い

北朝鮮の旅

北朝鮮軍最高幹部との出会い

実はこの板門店でチョットしたハプニングがあった。

私が板門閣のベランダから顔を出したとたん、韓国サイドから突然カメラのフラッシュがたかれたのは驚いた。

やがてバラバラと現われた数人の兵士達も私が日本人と分ったようで、興味なさそうに引き揚げて行った。一瞬、何事が起ったのか困惑したが、その理由が後でわかった。

北朝鮮軍の最高幹部の1人が、たまたま板門店に視察に来ていたのだ。

帰り際、通訳が酷く緊張して「貴方がお茶に招かれている」と言ってきた。

この御仁は、北朝鮮では名前を聞いただけで泣く子も黙るという有名な人物らしい。

私は言われるままに豪華な応接間に通された。

ほどなくして胸に勲章を付けた偉そうな軍人が現われ、私に着席するように促した。

だが、通訳や指導員は直立不動のままだ。

お茶を勧められ、彼から幾つか質問があった。

確か「板門店をどう思いますか」「植民地時代、日本は随分と酷いことをしましたね」だったと記憶している。

私はどう答えていいのか分らず「いつの日か半島が平和裏に統一され、日本人が気軽に観光できる時期が早く訪れることを希望する」と少々ピント外れの返答をした。

彼の顔は笑っているが、目が明らかに「つまらん事をいう」と物語っていたように見えた。

後で通訳が「貴方が何と答えるのかと固唾を呑んでいた。的外れの回答でよかった」と真情を吐露してくれた。

あの大幹部は、ただの気まぐれで私をお茶に誘ったのにちがいない。けれど、ここは階級や序列の厳しい社会。指導員の緊張しきった面持ちが今でも忘れられない。

通訳・指導員の素顔

板門店を最後に北朝鮮観光の全日程を終了した。

後は平壌へ戻るだけとなる。運転手、通訳、指導員と私のワンセット4人組であちこち移動していると、お互い気心がしれ何でも話せる間柄になっていた。

通訳、指導員の2人は平壌外国語大学の日本語学科を卒業したインテリ階層のエリート。キャリアではないが、日本の外務省専門職員ぐらいの立場といえる。

月給も一般の労働者の倍近く貰っているようだ。普段は観光局で内勤。時々は日本語の実践を兼ねて、通訳やガイドをしているという。

しかし、家族や親戚には、「仕事の内容をはっきりと伝えていない」と、ポツリと真情を吐露したことがあった。

大学で敵性外国語を専攻した後ろめたさに輪をかけ、敵性外国人の通訳やガイドをしていることで、堅身が狭い思いをしているらしい。

実際は「この仕事に誇りを感じており、接する日本人から最新の情報が入るので内勤よりはるかに刺激的で楽しい」との本音を明かしてくれた。彼等は訪問者の地位や専攻に合わせて選ばれる。2人とも40代前半で、局では日本の課長クラスの地位にいるという。

今回私はビザ取得の際、社員1人の個人会社にすぎないのに職業欄に横文字の社名と会社社長と書いたのが功を奏したのか、なかなかの人材を私に付けてくれたようだ。

 

1943年両国生まれ。両国高校卒業。早稲田大学在学中に通訳ガイド試験合格。当時流行りの学園紛争にハマり大学を中退。通訳ガイドを経て、ラケットメーカーやライター会社の社員として主に海外業務に携わる。サラリーマン時代やその後の自営業の合間に訪れた国は40ヶ国以上。
趣味は映画鑑賞・ぶらり街歩き・読書

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