北朝鮮の旅9 通訳・指導員とのたわいもない会話

北朝鮮の旅

通訳・指導員とのたわいもない会話

全般にタイトな日程で、自由に行動することが一切できなかったことがやや不満であった。だが、道中少しも飽きることはなかった。

何より通訳、指導員とも日本語をほぼ完璧に話し、とても気さくでフレンドリーであった。バカ話をしたり時には色々なことを討論した。

拉致問題をはじめ核問題、食糧危機、彼等の日常生活、恋愛観など多岐にわたり、さらにはワイ談も。

ただし政治的な話題となると、彼等の考えは政府(将軍様)と一体の様で意見の相違はどこまでも平行線だった。全く埒があかない。

それ以外のことでは少なくとも一般の人たちの考え、悩みがストレートに伝えられ興味深く感じた。

彼等の好奇心、探究心は頗る強く、特に日本及び日本人に大きな関心を持っているようだ。私が説明に苦慮するような質問も多く、最後まで話題に尽きることはなかった。

平壌郊外にさしかかる頃、たまたま日本の女性が話題となった。

彼等は観光客が置いていった日本の女性誌を見て、日本女性の美しさに憧れを抱いているという。

私は「多分、巧みな化粧で美人顔に見えるだけ。むしろ北朝鮮女性の方が、はるかに美人が多い。それもほとんど素っぴんだから化粧をしたらどうなるかと妙な関心も起きる。北朝鮮女性の透き通るような白い肌、優雅な立ち居振る舞い、遠慮がちに見せる微笑みは、たまらなく魅力的である。特に主な観光スポットに配属されたチマチョゴリを着たガイドは皆美人ばかりだった」と多少外交辞令もあるが褒め称えたところ彼等に大いに喜ばれた。

話がだんだんと盛り上がり「どこの観光地の女性ガイドが一番美人だったか各人で選んでみよう」ということになった。

通訳は金日成の生家のガイド、指導員と運転手は凱旋門の女性を挙げた。

私は「妙香山、晋賢寺の女性が一番魅力的で美人だった」と強調すると、通訳から「貴方は美人を見る目がない、彼女は美人と言えるレベルではない」と笑われてしまった。

すると憮然としていた私の顔を見て、彼は突然ハッとした表情になり「大変失礼した」と私に平謝り。事情を知らない運転手が「寺のガイドは、私の亡き妻のソックリさんだった」と聞かされ大笑いしていた。帰路は、ずっとこんな調子の会話で大いに愉快な気分だった。

朝鮮半島では昔からよく「南男北女」と言われてきた。「男は南にイケメンが多く、女は北に美女が多い」。日本の「東男に京女」のようなものだろうか。

この国には美人ばかりを集めたスポーツの応援団、通称「美女軍団」と呼ばれている組織がある。2002年、韓国の釜山で行われたアジア大会に、270名もの応援団が派遣され一躍有名になっている。

日本のマスコミも先を争うように「美女軍団」の動静を追っていた。

彼女達は出身のよい大学生や音楽大学の学生からなり、海外に向けて出発する際は「海外で見たものは帰国後一切漏らさない」という誓約をしているという。

日本のマスコミも結構騒いでいたが、韓国では彼女達の追っかけファンができるほどの人気ぶりだった。

旅の終わりに思うこと

北朝鮮というと拉致、地下核爆発実験、食糧難、飢餓などおぞましい言葉がポンポンと浮かんでくる。我々日本人には「不自由で、いびつな、貧しい国」と印象付けられている。拉致問題は日本人の対北朝鮮感情を最悪の状態にしている。

さらにミサイル発射以降、両国の関係は一層悪化。かつてない緊張関係が続いている。きっかけは北朝鮮側にあるにせよ、ここ数年、日本人の北朝鮮感情の悪化にはマスコミの影響が大きい。

日々放映されるエクセントリックさを強調した軍事パレードやマスゲームはまだしも、地方で撮影されたチョッコビ(ストリート・チィルドレン)をまるで見世物のように扱っていた。

その結果、体制ばかりか北朝鮮の人たちにも嫌悪の情が向けられているふしがある。この国は何事についても体制や組織の性格上、恐ろしく忍耐を要求されるようだ。

早く政治的な壁を乗り越え、自由に往来が出来、お互いの理解が深まれば長い間のわだかまりや偏見が解消されると信じている。

通りすがりの観光客が本当の実情を知ることは難しい。いつか本格的な交流が始まり、自由に行動が出来るような状況になったらまた訪れてみたい。

1943年両国生まれ。両国高校卒業。早稲田大学在学中に通訳ガイド試験合格。当時流行りの学園紛争にハマり大学を中退。通訳ガイドを経て、ラケットメーカーやライター会社の社員として主に海外業務に携わる。サラリーマン時代やその後の自営業の合間に訪れた国は40ヶ国以上。
趣味は映画鑑賞・ぶらり街歩き・読書

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